いつまで眠り続けるのだろう

ロックと映画と周辺カルチャーを語らせてくれ

BAM Aug.25th, 1995

もうすぐ8月9日。この日はジェリー・ガルシアの命日でもある

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ずっと大事に持っている BAMの1995年8月25日号。

表紙はこの年の8月9日に亡くなったばかりのJerry Garcia

この時はどういういきさつで彼の訃報を知ったのかどうも記憶が定かでない。

John Lennonの死を知ったのは日本時間で1980年12月9日の午後、青山サンクレストでランチを食べていたとハッキリ憶えているが、Jerry Garciaの時はどこで何をしていたのか記憶にない。

BAM(Bay Area Music)マガジンの実物を見てGarciaの死を知ったのか、既に知っていてS.F.の街でBAMマガジンを探したのか、どうにも思い出せない。

でもちゃんとこうしてBAMを入手し大切に保存していたことはそれだけ彼の存在を大きく意識していた証拠でもある。

数年振りにこのJerry追悼号をパラパラとめくってみるとこの20年で変わってしまった部分と変わっていない部分がハッキリしていることに驚かされる。

そもそも音楽に関してこの20年でそれほど何か大きく変わったものはない。

音楽を奏で人に聴いてもらうための様々なアーティステックな技術、ノウハウ、情熱といったものは全く変わっていない。

いなくなってしまった人、新しく来た人はいるが、大きな枠組みで捉えると音楽に投入される人類のエネルギーの総和はほとんど変わっていないなぁと感じる。

たぶん1995年のBAMに掲載されている広告、イベント、評論といったものは1975年とも2015年ともたいして変わっていない。

たぶん2025年になってもたいして変わっていないと思う。歌の歌い方を教えます、ライブをやります、あのレコードが良かった、ギター売ります、スタジオ貸します、メンバー募集etc, etc。

大きく変わってしまったのは音楽そのものではなく、音楽を取り巻く環境だ。

様々な情報量、アーティストとリスナー、リスナー同士のコミュニケーション、そして音楽の流通方法。

言うまでもなくインターネットに代表される情報革命こそが音楽とその環境に対するボクたちの姿勢を根本的に否応なく変えてしまった。

1995年8月。Jerry GarciaWindows 95を知らずに亡くなった。

信じられないかもしれないが、Windows95以前のマイクロソフトのOSにはTCP/IPプロトコルスタックはなかった。ネットワークに繋げたいユーザは別売りで数百ドルを支払ってサードパーティからTCP/IPプロトコルスタックとネットワークI/Fを購入しなければならなかった。

(もちろんUNIXMacintoshのユーザにとってネットワークはビル・ゲイツがLANという言葉を知る以前から当然のものとしてあったワケだが)

Windows95の発売により世界中の何千万台ものPCがTCP/IPによる通信が可能になり、90年代前半からのインターネットの商業利用の解禁と相まって今のネット社会へと突入して行くことになる。そんなある意味時代の境目である1995年の8月。Jerry Garciaが亡くなり、Windows95が発売され、ボクはS.F.のMacromedia本社でBAMを片手に滑り台を滑りおりて目が覚めた・・・

20年前のインターネット時代直前のBAM。

インターネット以前の時代にアナログ的な方法でコミュニケーションを模索し続けたDeadとDeadheadsたちとJerry Garcia

シリコンチップに代表されるハードウェア、TCP/IPなどのソフトウェアとそれらを育んだシリコン・バレー。

ボクにとって大切なものがこの一冊の上で交わるかのような感慨を味わうためにこれからも大切に保存していきたい一冊だ。

(10年前の文章の再掲です)